株式会社ビジネスコンサルタントでは、2022年4月、Well-being共創ラボを設立しました。
このシリーズでは、2022年9月に開催をした、Well-being共創ラボの初めてのイベント、Well-being共創会についてご紹介します。今回の記事は、基調講演に登壇いただいた妙心寺退蔵院副住職松山大耕さんのお話(後編)です。前編はこちら
働く人の多くが、自分がウェルビーイングではないと思っているから、ウェルビーイングという概念が注目されるのではないか。そんな問いを冒頭に立てられた松山さん。基調講演の後半では、私たちがそのように感じる理由と、それに対処するためにどのような心がけ、意識を大事にするべきかをお話しくださいました。
VUCAを疑ってみる
さて、今、会社の経営をされる皆さまは、さまざまな問題に直面されていると思います。
例えばVUCAの時代というふうにいわれます。不確実性が非常に高まっているというふうにいわれています。パンデミック、ウクライナでの戦争、急な物価の上昇。多くの方が不確実性の高まりに不安を感じているといわれています。しかし私は、本当に現代が過去と比較して不確実性が高まっているといるのだろうか、と感じています。
例えばパンデミックです。パンデミックはかつて疫病といわれました。日本の歴史で、一番最初に記述としてあるのは古事記、奈良時代です。当時は天然痘が日本国中に広がって、大変なこととなりました。遣唐使が国内に持ち込んだのではないかといわれています。天然痘は、り患した場合の致死率は30%です。かかったら3人に1人は確実に死ぬ、そういう病気だったわけです。それ以降、日本では大体100年に1回くらいで、疫病の記録があります。
次に戦争です。アメリカ合衆国の歴史は200数十年ですが、戦争もしくは戦争状態、例えばキューバ危機とかですが、そういう戦争に関わっていない時期というのが、200数十年のうちの10年ぐらいしかありません。ですから、アメリカの歴史はほぼ戦争の歴史です。ですから常に戦争があります。
そして大災害。地震噴火台風、こういったものはランダムにやってきます。ですから、その不確実性というのは今に始まったことではなくて、常に不確実です。
しかし、今不確実性が急に高まって、多くの人が不安を感じている、といわれます。私はその理由は、昔より情報量が多いからだと考えています。昔だったら知らなくてよかったことを、今だったら知ってしまえるという状況があります。余計な情報がいっぱい入ってくるわけですね。だから不確実性が高まっているような気になるのですが、しかし実際は昔から不確実です。
人間とは何か。動物と人を分ける、あることへの理解
京都大学の前総長山極先生という方がいらっしゃいます。ゴリラの専門家でいらっしゃいます。私は何度か山極先生と対談をさせていただいたことがあり、その中で、「AIの時代を迎えるにあたって、そもそも人間とは何か」、こういう話題になりました。山極先生は、人間の定義というのは、宗教を持つことだとおっしゃっています。私は、宗教家の端くれとしてそんなふうに思ってなかったのですごく意外で、逆に先生に「なぜそう思うのですか」と聞いたんです。山極先生がおっしゃるにはすべてのありとあらゆる生物の中でただ唯一、人間だけが自分が死ぬということを知っていると。人間の子供は、7歳くらいでも、自分のおじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんもそして自分自身も死ぬんだろうなってことはもうわかっていると思います。10歳ぐらいだと完全にわかりますね。そうすると何が起こるかというと、逆算をするんです。あと何年残っているのか。あと何年生きなあかんねんと。そこに不安が生まれます。そして、その不安を少なくする、解決するのが宗教の役割である。山極先生はこういう話をされていました。ですからこの不安を持つというのは、人間として生まれたからには宿命ですよね。そこから逃れることはできないわけです。
私たちの不安に対処するために、意識したい5つのキーワード
しかし、今は昔と比べて、やたらこの不安感というのは高まっているというのは事実だと思います。今の日本であれば、昔と比べたら医療技術は発達しているし、インターネットなどコミュニケーションのツールもいっぱいあるし、飢饉でなくなることもほとんどない。ですから、昔と比べたら生存するための条件というのは劇的に改善されている。それにも関わらず、この不安感というのはなくなっていない。むしろ高まりつつあるという。これはなぜかというところです。
比較社会
いろいろな理由があると思いますが、そのひとつは、現代が「比較社会」だということです。
例えば、私がおります退蔵院4.5点。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン4.1。東京ディズニーランド4.7点。何の点数でしょうか。これは、旅行ガイドのインターネットサービスでの評価です。私はこの比較には強い違和感があります。アミューズメントパークと寺が同じ評価軸で測れるわけないやんか、ということです。
現代は、すべてスコアリングされるようになっています。食事、病院、学校、何でも比較社会です。そうすると、そのスコアを意識せざるを得ないですよね。例えば見知らぬ街に行って、ごはんを食べる。ある食堂でおいしいなと思ってぱっとグルメサイトを見たら点数がすごく低い。「あれ、自分の舌はおかしいんかな」とか思ったりします。比較社会が行き過ぎると、自分の感性は信じられなくなってきます。しかも比較社会の中にあるのは本当の幸せではないように思います。そこにあるのは単なる優越感だけです。
現実とのギャップ
先ほど働きがいを感じにくくなっているというお話をご紹介しました。その時期とSNSの流行し始めた時期は大体一致しています。
SNSを見ていると、「めちゃくちゃおいしそうなもん食べてるやん」とか「コロナで自粛しているのにめっちゃ面白そうなとこ行ってるやん。自分は、家と会社の往復で全然おいしそうな物食べれへんし、旅行も行けへんし。」などと思わせられます。人間というのは、大体周りにいいところを見せたいわけです。本当は、それぞれみんな人生はきつい、しんどいんです。楽ちんな人生を送っている人なんか1人もいない。それなのに周りには、良いところしか見せたがらない。だからSNSで流れてくる情報は、ものすごく現実とのギャップがあると思います。SNSばかり見ていると「みんなめっちゃいい人生歩んでるやん」となり、自分との比較の中で、「自分だけしんどいんじゃないか」といった感情が生まれてくるわけですよね。ですからSNSがはやりだしてから幸せを感じにくくなっているというのは、非常に正しい指摘ではないかと思います。
アルゴリズム
そしてアルゴリズム、AIです。今、アルゴリズムというのは意識する・しないに関わらず、日常的に関わらざるを得ない状況になっていると思います。私たちがそもそもAIやアルゴリズムを何のために使うかというと、基本的には将来を予測したいからです。自分の思い描いたような人生を、将来を歩みたいという願望。ですからそこに突然変なことが起こったりとか、予想外のことが起こったりして心を乱されたくない、と。自分が将来をちゃんと予測した上で、その通りに人生をすすめたいという欲求の表れだと思います。
もちろん、この新しい技術が生まれることによって、少し未来のことは予測できるようになったかもしれません。でも例えば今から3年前に、新型コロナウイルス感染症が世界中に広まり、収まるのにこんなに年数がかかるといった状況を予想していた人なんか誰もいません。少しは予想したかもしれないけど世界のほとんどの人はそんなことは考えてない。ですから、さまざまな技術が発達してきて、将来が予測できるのではないかという期待値は高まっているにも関わらず、現実はことごとく裏切られているのです。現実と自分たちの期待値・理想とのギャップがどんどんどんどん開いていっています。
また、アルゴリズムというと、例えば皆さんもAmazonで買い物をしたことがあると思います。ひとつ買おうとすると、Amazonのアルゴリズムが、「これを買っている人はこれも買っていますよ」とおすすめしてくれますよね。YouTubeなども同様です。このようなアルゴリズムが生活の隅々まで入ってくることで何が起こるかというと、提案されないと選べなくなってしまう、自分のやりたいことがわからない、ということです。
しかし、私は、人生の喜びのひとつはセレンディピティ、幸運なる偶然の出会いだと思います。たまたま、あそこで、あの先生のお話を聞いたから自分の今があるとか。たまたまあそこで出会ったから奥さんと結婚できたとか。本当の偶然なる幸運な出会い、これが人生の彩りだと思います。しかし、アルゴリズムにずっと慣れてくると、そこにチャンスがあっても気づかなくなってしまう。
よく質問を頂くことですが、今から大事な能力のひとつは、気づく力だと思います。
この気づく力について、脳科学者の中野信子先生からお聞きしたことがあります。運がいい人・運が悪い人は何が違うのか、という話題でお話をしていました。運がいい・運が悪いというのは、統計学的にいうとまったく変わらない、平等なのだそうです。しかし、ある人は、自分は運がいいと思っているし、またある人は、自分は運が悪いと思っている。中野先生は、両者に、大きな差は二つしかないっておっしゃるんですね。
一つ目、運がいいと思っている人たちは、大体何でもすぐやるそうです。すぐやるということはトライアンドエラーの回数が増えるわけですから、その中であたりを引く確率も高まるわけですよね。
また、運がいいと思っている人たちは、好奇心がものすごく強いから、自分の専門分野だけじゃなくていろんなところに対する好奇心があり、アンテナが張れているのだそうです。
アルゴリズムをジャブジャブ使っていたら、気づく力もセレンディピティも、本当に失われていくのではと思います。
自由
この自由という言葉は、明治時代の偉大なる誤訳でして、自由という言葉はリバティでもフリーダムでもありません。もとは仏教の言葉です。本来の意味は、まさに読んで字のごとく、自らによる、ということです。
自分が面白いから面白い。インターネットの評価はどうでもいい。自分がおいしいからおいしいんですね。自分の五感、自分の感覚によって、それを信じて自分で選択をしながら自分で道を切り開いていくという、これが自らによるという自由です。
本当にそれができる人が、本来の自由ということだと思います。これは今、すごく難しいことです。私たちは、知らず知らずのうちに、周りから見ても正しいことは何か、こうすべきだ、というふうに真綿で首を絞められたような状態にあるからです。本当はそんなことしたくない、そうじゃないと思っているにも関わらず、せざるを得ないという、こういう息苦しい状態になっていると思います。
レジリエンス
最後に、レジリエンスは、ウェルビーイングに非常に通じる概念として、私は非常に大事だと思っています。レジリエンスというのは、いわゆる予想外のことが起こったとしても、それに対してしなやかに反応して、何とかしていくような力、ということです。今の世の中というのは、AIの時代になって、方向性が画一的になっているのではと危惧することがあります。
例えば地球温暖化の問題です。私は自分の科学的な理解から、地球が温暖化の主たる原因は、化石燃料を燃やし、CO2が増えていることにある、というのはまったく異論ありません。
しかし、今のCO2削減の議論というのは、非常に危なっかしいと思うところです。なぜかというと、根本的に、きわめて欧米的な概念の上に成り立っていると感じるからです。どういうことかというと、私たち人間が頑張れば、地球の環境をコントロールできるという前提になっている、ということです。例えば、地球上の人類がすごく頑張って、カーボンニュートラルを達成できたと。でも、急に太陽活動が縄文時代のように活発になってしまえば、地球は全然涼しくなりません。
ほかにも、地球には大規模な火山の噴火が過去に何度も起きています。火山の噴煙物によって、太陽光が遮られ、平均気温が下がり、作物が育たなくなり、飢饉となる。そういったことが突然起こるかもしれません。
CO2の議論で前提になっているのは、太陽も地球も変わらないということです。そういう前提でないと、温暖化対策の話ができないからです。私はCO2排出量削減の対応は、真剣に、一生懸命やるべきだと思います。でも、やっぱり心のどこかでは、人間は自然を全部コントロールできないよなって思ってなきゃいけない。
魚川祐司さんという仏教学者の方が、『仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―』という本の中で悟りの体験について書かれています。悟りの体験を言葉で表現するのは難しい、できない。でも、あえて言葉で表現することにチャレンジされていて、非常に良い表現があります。「子供が真剣に鬼ごっこしている感じ」と書いてあるんです。
子供は、遊びだからといって手抜きをしません。たかが鬼ごっこでも真剣にやります。これが心のレジリエンスに通じると思います。つまり、悟りを得た人は、世の中が諸行無常だと十分わかっておられ、世の中は空だということも十分わかっておられる。しかし、だからと言って、「もう生きることに意味はないから死ぬわ」といって、死んだりしません。わかっているんだけれども、その中で真剣に与えられた命を生ききるんです。こういう心持ちというのがすごく大事です。
ですから、真剣に何でもやる。仕事だって真剣にやるし、CO2の問題だって真剣にやる。やるんだけれども、心の底では仕事より大事なことってあるよなとか、人間は全部をコントロールできないようなとか、そういうある種の余裕というのが大事ですよね。こうしたことが、今の不安感に対する、非常に重要な処方箋になるんじゃないかなと私は思います。
今、不安感が高まっている中において、ウェルビーイングというのが注目されています。本日は今、そうした時代において、私たちが心にとめて実践したいことをキーワードとしてご紹介しました。ぜひひとつでも頭の片隅に置いていただいて、そして真剣に生きる中で、クールというか、一歩引いた態度、余裕というようなものを持ち合わせいただくのがよろしいのではと思います。
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