新年を迎えて、新しいことにチャレンジする気持ちで溢れている方もきっと多いことでしょう。

「今年は沢山の人に会おう」
「これまで不得意だったスキルを習得しよう」
「健康のために定期的にジョギングをしよう」
など新たな決意をした人もいると思います。

こんなふうに一年の計を立てたとき、あなたはどんな気持ちでしたか。その目的のために、友達に連絡をとったり、専門学校のクラスを調べたり、新しいジョギング・シューズを買ったりしている間、きっとワクワクしていたことでしょう。

ところが、同じ1年の計画でも、上司との業務計画の時はどうでしょうか。

「キミは頑張っているけれど、まだまだだなあ」
「もっと努力して新しいスキルを習得した方がいいな」
「健康管理もキチンとしてください。さもないと、プロジェクトから外れてもらうからね」。
こんなことを上司に指摘されながら立てる目標計画は、残念ながらワクワクした気持ちとは遠い感じです。

サティスファイアーは本人が考えるのがいい

こんなふうに同じ「一年の計」でも、

1)本人が考えるもの
2)他人から押し付けられるもの

では、その効果は大きく違います。

マックス=ニーフによれば、2)は外因的サティスファイアーといいます。外因的サティスファイアーでは、多くの場合、9つの基本的ニーズを満たすことはできません。自分には足りないものがあるのだ……というネガティブな感情を生み出すだけでなく、他の基本的ニーズを満たすプロセスに悪影響を与える可能性さえあります。

サティスファイアーは、人の価値観や背景にある文化や宗教により左右されるもので無限に存在するものでした。ですから、誰かが私のニーズを満たすためにその人の価値観に基づくサティスファイアーを提供してくれたとしても、私のニーズが満たされるとは限りません。ですが、「この人にはあって、自分にはない」という欠乏感や、それに付随して「だから自分もそれを手に入れないといけない」という落ち着かない気持ちを持ってしまいます。

自分以外のヒトからサティスファイアーを押し付けられ、自分にそれがないとき、ヒトはニーズを「欠乏」と認識し、自分の快適なやり方でサティスファイアーを選んで行くとき、ヒトは自分でニーズを満たしていける可能性に気がつくのです。

そして、認識した後は、自分にとっての快適なサティスファイアーを模索することにより、自分自身の可能性に気づくことができるのです。

外因的サティスファイアーを理解すれば、いわゆる発展途上国と名付けられた国々に、開発援助や資金協力を必ずしも今の形で提供しなくてもいいことが分かります。また、政治家が「国民のため」と声高に行う政策が、有権者に必ずしも受け入れられるものではない、というのも明らかです。結局、誰かが勝手にサティスファイアーを用意しても、本人の基本的ニーズが満たされるとは限りません。「押し付け」や「お節介」は効果的ではないのです。

貧困とは「何かのニーズが長期的に満たされていない状況」

先進国や政治家がよく使う言葉に、「貧困」という言葉があります。「貧困」というと、多くの人が、お金がなく、きれいな洋服や様々な物を持たないことだと思いがちです。

しかし、マックス=ニーフのいう「貧困」は違います。人間誰もが持つ9つのニーズのうち、どれか1つでも「長期的に満たされていない状況」が「貧困」だと考えるのです。

たとえば、ビジネスに打ち込み、家族との時間を後回しにしてしまう人もいるかもしれません。努力の結果、大金を手に入れたとしても、その時に家族や友人の愛情がなかったら、「満たされない」気持ちは永遠に続くかもしれません。

学校に不満を言う子供に対して、「世界には学校に行けない人もいるのだから、贅沢を言うな」という見方も可能です。しかし、教室で自由に発言できない学校なら、子供たちの「愛情」や「参加」のニーズが満たされない状態は続きます。それは、まさしくマックス=ニーフの言う、「貧困」状態なのです。

大金や学校という物やサービスでは、人間の基本的ニーズを直接的に満たすことはできません。物やサービスの数が増えても、ニーズを満たすサティスファイアーと効果的に結びついていなければ、全く役には立たないのです。

逆に言えば、このニーズを効果的に満たせるサティスファイアーをうまく支援するモノやサービスを提案することができれば、新しいビジネスチャンスにリーチすることになります。持続可能なサティスファイアーを発見して、持続可能なやり方でそれを支援する物やサービスを提供し続けることが、将来に渡り持続可能な経営の1つのポイントなのです。

まとめ

「ニーズを満たすのがサティスファイアーであり、物やサービスはその補助的手段」というのがマックス=ニーフの考えでした。この考えを前提にすれば、限られた資源を使って、闇雲に物やサービスを提供し続けることは賢明な選択とは言い難いことが分かります。

希少な資源を、私たちのニーズに直結したサティスファイアーのために使うことができたら、私たちは今と同じ資源の消費量であるにも関わらず、より多くのニーズを満たすことが可能になります。

私たちがどうやって自分のニーズを満たしたいのかに気付き、声に出し、そのサティスファイアーを満たすプロセスに取り組むこと、それと同時に誰かの価値観をもとに作られたモノやサービスを手に入れさえすればニーズを満たせるという考えを手放すことがサステナビリティのために私たちがすべきことなのです。

マックス・ニーフのフレームワークの更なる議論は、また後日このブログで書いて行けたらと思っています。ご興味のある方はこちらから彼の著書の一部を翻訳したものダウンロードしてお読みいただけますので、ぜひご利用ください[1]。

次回からは、サステナビリティのために「すべきでないこと」についてお話ししていきます。どうぞお楽しみに!

サステナビリティの基本的ニーズとサティスファイヤーについては、ブログ記事「サステナビリティの普遍で不変な9つの基本的ニーズ」をご覧ください。

いかがでしたでしょうか。サステナビリティは「我慢すること」とだけ捉えられがちですが、そうではありません。サステナビリティと企業活動との関連性についてより詳しく理解したいという方はぜひ下記の資料をダウンロードしてご覧下さい。サステナビリティを実現する”秘訣”を一部ご紹介しています。

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