北海道下川町での、サスティナブルな町づくり視察での学びをリポートするシリーズをお届けしています。
第1回 森の恵みをあまさず使う_下川町の持続可能な町づくり①
第2回 森の恵みがもたらす、世代を超えたぬくもり_下川町におけるエネルギーの地産地消②

下川町のまちおこしセンター「コモレビ」で、「下川町未来新聞」という小冊子(しもかわ観光協会が発行)を見かけました。そこには、2030年4月22日の下川町が描かれています。
こんな町に住んでみたい、こんな町を作っていきたいという共感が自然と生まれてくる内容です。難しいことを言わずに、「バックキャストな町づくり」について知らせている、コンサルタント会社の私たちとしてはちょっと悔しいくらい、すてきに分かりやすい新聞です。

サステナビリティにさらに挑戦するために、下川町は2030年のありたい姿を作成

下川町では、平成29・30年度で「第6期下川町総合計画」を策定しました。総合計画とは、自治体の最上位計画です。その計画を審議する下川町総合計画審議委員会に、SDGs未来都市部会を新設、この部会が中心となり、『2030年における下川町のありたい姿』が検討されました。この内容が、とても分かりやすい、こんな町に住んでみたいなぁと思わせるものなのです。どのようなプロセスで生み出されたものなのか、下川町役場 政策推進課 SDGs推進戦略室 室長 簑島豪さんにお聞きしました。

あらかじめ様々なステークホルダーを巻き込むことが、ビジョン実現への第一歩

簑島さんが、町役場の担当職員としてこのありたい姿作りを進める際に重視したのは、
・利害関係の無い外部の有識者にファシリテーターとして関わってもらうこと
・町民主体で考えること
であったと言います。部会は、様々な背景を持つ民間委員10名(事業経営者、NPO法人代表、農業者、主婦、教員、商工会青年部長など)と行政の中堅職員10名、外部有識者で構成されました。地域のステークホルダーであり、2030年に向けまさに地域を担うであろう人たちです。部会は約半年間、検討を続け、議会への答申やパブリックコメントの受付を経て、2018年春に正式に発表されました。

下川町2030年のありたい姿とは

「誰ひとり取り残されず、しなやかに強く、幸せに暮らせる持続可能なまち」

具体的には次の7項目があります。

第6期下川町総合計画基本構想(案)より

下川町における、SDGsの生かし方

ご覧になってすぐにお気づきになることと思いますが、このありたい姿の策定では、SDGsが活用されています。簑島さんは、下川町が町づくり、地域の活性化にSDGsを採り入れるメリットを次の4点教えてくださいました。

①17 の目標から地域を見つめ直すことで、新たな課題の発見や気づきができる

②「未来(ありたい姿)から現在を見て、その実現のための手を考え打っていく」という、良質な町づくりに必要な発想ができる

③さまざまな人々と連携した、新たな町づくりの仕組みづくりにつながる

④本町の魅力や将来性を SDGs の枠組みを使い国内外へ発信、ブランド力などを高め、移住者や交流人口、企業、投資の呼び込みにつながる

ここで②はまさに本サイトでも繰り返しメッセージさせていただいているバックキャスティングのこと。そして、「今やっている施策へのあてはめ」ではなく、課題の気づきのためにSDGsを活用、というのも非常に本質的です。簑島さんは次のようなエピソードを教えてくださいました。

「SDGs17:海の豊かさを守ろう」
下川町には海はありませんが、サクラマスなどがさかのぼって産卵をする川があります。下川町の自然環境を守ることが、海洋保全にもつながることが再認識されました。

「SDGs5:ジェンダー」
女性の活躍できる町でないと、子供が産み育てられず、結局地域が消滅してしまうという問題意識が芽生えました。そこから女性委員が中心となり、住民活動が始められています。

そしてありたい姿策定のこだわりは一言一句まで行き届いています。
国連広報センターによるSDGsの和訳では「誰ひとり取り残さない」ですが、「上から目線」という理由で、ありたい姿では、「誰ひとり残されない」と表現しています。SDGsそのままではなく、自分たちの文脈に置き換え、考えているから、その微妙な意味合いの違いにもこだわっています。

地域消滅の危機感を、サステナビリティ推進のエネルギーに転換

なぜ、下川町では町民を巻き込み、地域の持続可能性について考えることが可能だったのでしょうか? 町の歴史に、その理由がうかがい知れます。

1901年 町の歴史が始まる。開拓者が入植、林業、鉱業の町として発展
1950年代:国有林の払い下げを受け町有林を持つように。それまでの自然林を伐採することによる木材生産だけではなく、切っては植える、循環型森林管理に着手
1960年代:人口がピークを迎える(1万5000人超)
1970~80年代:林業や鉱業の衰退で1990年までに人口は3分の1、5000人を切るレベルへ急激に減少。
1990年代:鉄道廃止など、過疎化を進展させるさまざまなネガティブな事象に直面する中、住民らによる地域活性化活動が始められた。この活動の一つに「産業クラスター研究会」があり、地域の将来ビジョンである「森林共生グランドデザイン」策定に着手
2001年:「森林共生グランドデザイン」に「経済・社会・環境の調和による持続可能な地域づくり」というコンセプトが明確に表される
2004年:平成の大合併において、合併せず自立を選択
2007年:下川町自治基本条例に「持続可能な地域社会の実現を目指す」ことを位置付け
2008年:環境モデル都市に選定
2011年:環境未来都市に選定
2018年:これまでの実績を礎にSDGs未来都市に選定、「第1回ジャパンSDGsアワード」で内閣総理大臣賞受賞

簑島さんは「逆境を乗り越えるのが下川イズム」と教えてくださいました。基幹産業の衰退、急速な人口減少、都心部から遠く外部からの投資も期待できない、といった中で、「森林」という自分たちの資源を生かして持続可能性を高める取り組みが、町では地道に重ねられてきました。その結果、サスティナブルな価値観が町では育まれてきたのだと思います。

今回簑島さんからお伺いした2030年ありたい姿の策定に関するお話の中でなるほどと思ったのは、「SDGsをツールとして活用することが大事だ」ということ。「社会の問題への気づきを深める」「バックキャスト」は上述した通りですが、「町のブランドを高め、町の外の人たちとのつながりを強化する」への波及効果が明確に意識されています。「ツールとして使う」なんて言うと、表面的な取り組みと誤解を受けるかもしれませんが、下川町がそれとは一線を画すのは、何十年もの愚直な取り組みがあるから。

下川町では今、人口減は緩やかになりました。年によっては流出より流入が超過するのだそうです。森林産業を中心に働き口があり、環境に関心がある、自らのありたい暮らしをかなえたい、そんな人たちが集まってきているそうです。

下川町移住者向けの情報
きめ細かな移住者向け情報

そういえば到着した日、飲食店は数もバリエーションも多く、遅くまで開いていることに驚かされました。お店の方も、町外から来た私たちをとても親切にもてなしてくださったのでした。そんな気さくで開かれた雰囲気も、下川町の魅力です。

これから私たちは、下川町の皆さまと、下川町で何かご一緒できないか、考えていきたいと思います。

下川町におけるありたき姿策定の背景、考え方、内容、具体的施策は下川町役場ホームページに掲載の資料でも詳しくご覧になれます。


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