東洋思想研究家の田口佳史氏は、50年にわたり東洋思想を探求し、さまざまな講演、セミナー、情報発信や異分野の方々との交流に精力的に取り組まれています。著書も多数出版されており、私たちがより良く働き、より優れた組織運営をして、よりおもしろい人生を歩んでいくため、東洋思想から何を学ぶべきかを日々発信されています。今回は、幅広い視点からウェルビーイングを探求する目的で、Well-being共創会に登壇いただきました。

Well-being共創会は、株式会社ビジネスコンサルタントが主催するイベントです。今回の記事では、『東洋思想に学ぶ経営の知恵:ウェルビーイングとイノベーションの共創』(2025年4月8日開催)における、田口佳史氏の講演「Well-beingと東洋思想 ―その根源を解く―」をご紹介します。
【この記事のポイント】
・世界史級の転換の必要性、東洋思想への期待が高まる理由
・東洋思想、西洋思想とは
・ウェルビーイング実現につながる、東洋思想の4つの主張
田口氏の講演は、「なぜ今東洋思想なのか」を確認するべく、時代認識のお話から始まりました。
世界史級の転換の必要性、東洋思想への期待
田口氏によると、現在は混沌とした時代です。
・社会や環境のさまざまな課題が山積し、地球そのものの健全性が失われている
・大国の自国第一主義、さまざまな政治グループの台頭等による、世界政治・経済の混乱
こうした時代に必要なのは、近視眼的な対処ではなく、世界史級の転換であり、パラダイムの転換です。パラダイムの転換とは、具体的にはプラネタリーヘルス(※)を確立できるようなあり方へ、世界全体の国家が変わることを意味します。その際、同時に私たちが取り組むべきなのが生き方の転換であり、ここにウェルビーイングの確立が関わってきます。この国家・個人それぞれの転換を実現するために欠かせないのが、西洋と東洋の知の融合です。
近代西洋思想の弊害が顕在化する中で、西洋思想一点張りで経営をしていってよいのかという疑問を抱く人々が増えています。東洋・西洋と分けるのではなく、世界中から有効な智慧を結集する必要があるのが現代です。
※プラネタリーヘルスとは、地球の健康と人間の健康が相互に影響し合うという考え方です。地球環境が人間社会を含む多様な生命を維持できる状態を指し、人間の活動が地球に与える影響と、地球の変化が人間の健康に与える影響を両方とも考慮する視点です。
東洋思想とは1500年にわたる日本の知的資源
それでは、今回の主題である東洋思想とは何でしょうか。
田口氏のとらえる東洋思想とは、日本において1500年にわたり5つの思想・宗教が蓄積され、相互に影響し合って独自の深みを持って現在に至る知的資源です。その5つとは、日本に元々あった神道、中国大陸から伝わった道教(老荘思想)、儒教、仏教(538年公伝)。鎌倉時代に伝わった禅仏教です。
近代西洋思想の特徴と弊害
近代西洋思想の特徴として、田口氏はつぎの観点を紹介されました。
・自我観重視・自己中心主義 “われ思うゆえにわれあり”(デカルト)
・自他分離
・目的完遂主義
・競争至上主義
・還元主義
・機械論的世界観
・知識万能重視主義
いずれの特徴にもよい面がある一方で行き過ぎると弊害があります。たとえば、還元主義の行き過ぎは、分析重視で細部にこだわりすぎるがゆえに全体が見えなくなってしまう恐れがあります。機械論的に複雑な世界を単純化して理解する、というのは有効な思考方法である反面、組織をあまりに単純化してとらえ、そこで働く人たちを機械の部品のように扱ってしまいかねません。
こうした近代西洋思想の行き過ぎが、現代では次のような弊害をもたらしています。
・経済成長至上主義
・金銭物質絶対主義
・人間性軽視の組織活動
・周辺存在との調和無視
これらを脱して、新しい資本主義を確立すること、心身・精神の調和を図り、人間力あふれる組織を目指すこと、周囲を大事にし、調和を目指すことが重要だと田口氏は訴えます。
西洋思想と東洋思想は相互補完的
西洋思想と東洋思想の違いは、次の観点からも指摘できます。
西洋:真理に向き合いそれに迫ることを重視、自分の外側にある対象に向かっていく。真理とは、身近にあり、誰にでも分かり、誰にでも使えるものであること
東洋:仏性、心的自分に迫っていくことを重視、自分の内面に向かい、洞察を得る。すべては自分の心の中にある、真理は自分の中にある
西洋思想と東洋思想では、外側と内側、注意を向ける方向が異なります。これは両者が補完的な関係となる可能性を示しています。
近代西洋思想の弊害を乗り越える一つの視点:ウェルビーイング
近代西洋思想の弊害を乗り越えようという流れの中で提示されているのが、SDGsやプラネタリーヘルスであり、ウェルビーイングの重視・ポジティブ心理学の台頭です。代表的なウェルビーイングの定義として次のようなものがあります。
PERMA理論(マーティン・セリグマン博士)
- ポジティブな感情(Positive Emotion)
- 没頭没(Engagement)
- 良好な人間関係(Relationship)
- 生きる理由と目的(Meaning)
- 達成感(Accomplishment/Achievements)
田口氏が、上記のウェルビーイングの定義に触れて即座に考えたのが「まさに東洋思想だ」ということだったそうです。これらウェルビーイングの要素は、精神性、社会性、心身性の三つからなっています。東洋思想は、千年を超えてこの三つを探求してきたのであり、それらが実現した姿を提示しているものです。ですから、ウェルビーイングの確立においては、東洋思想の主張から学ぶべきことがたくさんあるのです。
ウェルビーイングを高めるための、東洋思想の4つの主張
東洋思想には数多くの主張がありますが、今回はウェルビーイングを確立するという観点で、厳選した4つの主張をご紹介いただきました。
- 見えないものを見る
- すべては自分のうちにある
- 想定外を無くす
- 生きるとは何か
見えないものを見る
現代の欧米の経営リーダーやビジネス書でも、「見えないものを見る力」は極めて重要な資質として注目されています。
プロフェッショナルとは「見えないものが見える人」
「プロフェッショナル」は日本語では「玄人」です。この“玄”は「くらい(=暗い)」という意味であり、玄人とは暗がりにあるもの、すなわち素人には見えないものを見通す力を持つ人を指します。
剣道における「気配」をとらえる力
剣道の達人は、背後や左右など目に見えない方向からの攻撃にも瞬時に反応できます。これは、徹底して相手の「気配」を感じ取る修行によって培われた力です。
長谷川等伯『松林図屏風』が示す自他非分離の美
日本画では、あえてすべてを描ききらない美学があります。長谷川等伯の『松林図屏風』は、その象徴ともいる作品で、鑑賞者は最初「何が描かれているのだろう」と思ったとしても、「朝もやのたゆたう松林なのだ」と想像することで、作品が頭の中で完成することを意図して描かれています。
スティーブ・ジョブズと“見えないニーズ”
禅に傾倒していたスティーブ・ジョブズも、「人は見せてもらうまで自分が何を欲しているか分からない」と述べています。これは、まだ言語化・意識化されていないニーズを見抜く力の重要性を示しています。
経営における「不可視なもの」への洞察
欧米でも「invisible(見えない)」「intangible(無形の)」「inaudible(聞こえない)」といった概念が注目されており、優れたプロフェッショナルはこうした不可視な要素を読み取ることで、未来を予測し、他者のニーズを先回りしてとらえます。人間の奥底を見抜く力が、優れた経営をしていくために必要です。
すべては自分のうちにある
「すべては自分のうちにある」という言葉は、日本の伝統的勤労観「修行としての仕事」の根底を成す考え方です。これも、仏教の思想に深く根ざしています。比叡山延暦寺を開いた最澄の教え「本来本法性天然自性身」は、人間は本来すでに仏であるという仏法観でした。
道元の問いと修行の意義
しかし、この最澄の教えに疑問を持ったのが曹洞宗の開祖・道元です。彼は「人間は元々仏であるにもかかわらず、なぜ修行が必要なのか」と各地の高僧を訪ね歩いたあと、中国へ渡ってその答えを求めました。彼が導いた答えが「修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」。すなわち、人間が仏であり悟った存在であったとしても、修行によってはじめてその本質が現れると説いたのです。
千利休が説いた茶道の本質
この仏教的な修行観は茶道にも引き継がれました。千利休は茶の湯の本質を、美味しい茶を点てることや作法を身につけることよりも、悟りを開くことに求めました。この考え方は、茶道、華道、柔道など多くの「道」として日本文化に広まりました。
勤労観への展開:「修行としての仕事」
僧侶が寺で修行するように、一般の人々も日々の仕事を修行ととらえ向き合うことで悟りに至ることができるとされました。この考え方が「一つ一つを丁寧に、心を込めて行う」という日本的勤労観を形づくり、年月を経て大きな差となるという価値観に結びついていきました。
自覚と覚悟が生む自信
仏教でいう「Buddha」は「目覚めた人」を意味し、江戸時代の教育では「自覚」が重要視されました。家族において、社会において、組織において、それぞれの立場での自覚が求められます。また、「即今・当処・自己」、すなわち「今、ここ、自分」に生きる姿勢こそが覚悟であり、それは「悟りを覚える」ことでもあります。覚悟を持って行動することが、やがて揺るぎない自信を育むのです。
想定外を無くす
多くの日本人学生がアメリカにリーダーシップを学びに行くため、田口氏はアメリカのビジネススクールの関係者から「日本には独自のリーダーシップ論がないのか」と問われることがあるそうです。
江戸時代の知恵:「重職心得箇条」の紹介
そうした問いに対して田口氏が紹介するのが、江戸時代の儒学者・佐藤一斎による「重職心得箇条」です。これは、非常時に求められるリーダーシップのあり方を説いた17条からなる心得です。
危機対応における実践的指針
重職心得箇条の十条は、以下のような内容です
十. 政事は大小軽重のを失ふべからず。緩急先後の序を誤るべからず。徐緩にても失し、火急にても過つ也。着眼を高くし惣体を見廻し、両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て、手順を遂て施行すべし。
(重要な仕事をするときには、物事の大小、重要度を正しく判断し、順番を誤ってはならない。早すぎても遅すぎても良くない。何より重要なことは、着眼点を高く持って全体を見渡し、年単位の計画を立て、指示を出し実行することだ。)
たとえば、大地震が起こった際には、情報が次々と入ってくる中で、順番に処理してはいけないといいます。全体を俯瞰し、重要度や緊急度に応じて優先順位をつけ、的確なタイミングで指示を出す必要があります。
有事を前提としたリーダーシップの重要性
東洋思想には想定外という言葉はありません。「有事は平時の備えにあり」とされるように、リーダーは日常から非常時を見据えた心構えを持つことが求められます。非常時の判断力こそが真のリーダーシップであるとされています。
「重職心得箇条」では、リーダーとして非常時に役立つ視点が紹介されています。ぜひ一度、じっくり読んでみることをおすすめします。
生きるとは何か
「生きるとは何か」というのは東洋思想において最も重要なテーマです。これは、江戸時代の親が子に教えたことを紹介するのが最も分かりやすいでしょう。
江戸時代の親が子に繰り返し尋ねた質問
江戸時代の親が子に繰り返し尋ねたのは、「世間は誰からできている?」「付き合いたくない人間、嫌いな人間とは?」という質問です。世間は自分と他人でできています。自分は一人、あとはすべて他人です。自己中心的になってしまうと、途端に周りから嫌われ、孤立してしまいます。人から嫌われるのは、自分勝手、自分の利益優先の人です。
徳とは、自己の最善を他者に尽くしきること
そこで、子供に重要だと教えたのが「徳」です。その意は、「自己の最善を他者に尽くしきること」です。徳を尽くすことで生まれる人間関係とは感謝の人間関係で、最も崇高な関係性です。困ったときにも、手を差し伸べられる関係です。
徳は、日本を代表する経営者である松下幸之助氏も非常に大切にしていました。かつて田口氏は、「経営者の条件とは何ですか」と松下氏に質問したことがあるそうです。松下氏は「運が強いこと」だと即答され、運を強くする方法は「徳を積むことだ」とお話になられたそうです。
以上の4つが、ウェルビーイングを実現するうえでぜひ考えていただきたい、東洋思想の主張です。
企業人として、より良い社会をリードするために
最後に田口氏からは、イベントのご参加者に向けて、「社会の手本となる」ということについてメッセージを頂きました。
企業人として、より良い社会をリードするためには、より良い人間である必要があります。儒教には正々堂々と生きるということについて次のような教えがあります。
「内省不疚、何憂何懼」
やましいことがなければ、心配すこと・恐れることはない、という意味です。企業人としてやましいことをつくらず、正々堂々とあることが重要です。
東洋思想の私たちへの影響、ウェルビーイングの実現に向けた知恵
田口氏のお話から、東洋思想は、私たちの生き方や価値観に深く影響を与えていること、そして今日でも新鮮にうつる経営や人生のヒントを与えてくれるものだと感じました。私たちが今解決しなくてはならない社会や環境の問題を乗り越えるため、精神性・社会性・心身性の調和を目指すため、東洋思想からの学びを続けていきたいと思います。
株式会社ビジネスコンサルタントは、人材開発・組織開発を通じて、ウェルビーイング経営の実現をご支援しています。

名古屋大学大学院 国際開発研究科 修士課程修了。在学中は、持続可能な開発における国際協力をテーマに研究に取り組む。卒業後、株式会社ビジネスコンサルタントに入社し、企画営業やWebマーケティングを担当。現在は、組織開発・人材育成の観点から、企業の課題解決に資するプログラム開発のために探索を行っている。また働きがいに満ちた豊かな組織づくりの実現を目指して、顧客や専門家と共に考えるラボラトリー活動にも参画している。