未来をつくるリーダーシップについて、豊岡市元市長の中貝宗治さんらの取り組みから考えるシリーズ第2弾です。今回は、「小さな世界都市」豊岡を実現するための4つのエンジンから、豊岡エコバレーの創造・コウノトリの野生復帰、深さのある演劇のまちづくり、をご紹介します。魅力あるビジョンの条件、どうしたら多くの人ともにビジョン実現に向けて歩むことができるのか、そして地域の魅力・資源を起点に、広がりを持った課題解決を実現するための視点をご紹介します。
第1回はこちら 未来をつくるリーダーシップ:豊岡の実践から見えてくる、ビジョンと課題設定の力
小さな世界都市実現のエンジン:豊岡エコバレーの創造・コウノトリの野生復帰
コウノトリが教えてくれた、多くの人が動きたくなるビジョン
豊岡市では1950年代から兵庫県と一体となってコウノトリの人工繁殖に取り組み、多くの困難を乗り越えて、2005年、ついに飼育下にあったコウノトリを放鳥し、野生復帰に成功しました。現在では、日本各地で500羽を超えるコウノトリが自然環境に生息しています。

豊岡市がコウノトリの野生復帰で目指したのは、単にコウノトリを保護することではありませんでした。人が暮らす環境で絶滅した生物の野生復帰に成功した取り組みは、人と環境との関わりも変えることを伴う、世界でも類を見ないことでした。コウノトリの野生復帰には、世界に突き抜ける価値、世界につながる広がりがあります。これは、豊岡市に暮らす人たちの誇りにつなげることを明確に意図した取り組みでもありました。
コウノトリの野生復帰の実現に当たって掲げられたのは、「コウノトリ“も”住める豊かな環境をつくる」というビジョンでした。講演で中貝さんが強調されたのが、「コウノトリ“が”」ではなく「コウノトリ“も”」という“もの発見”の発想でした。コウノトリだけを特別な存在として保護・保全するのではない。豊かな環境づくり、すなわち豊岡エコバレーの実現には、多様な生き物の命を育むこと、人間の暮らしを豊かにすること、何より将来世代に豊かな環境を受け継ぐことも含まれている。「コウノトリも」とビジョンで語ることで、取り組みの意味が広がり、多様な人たちのあいだで目指す方向が共有され、活動が幾重にも広がっていきました。
対立をほどくのは、説得ではなく対話
講演では、環境保全を進める中で、「人間とコウノトリとどちらが大切なのか」「環境で飯が食えるのか」といった厳しい批判が寄せられていたことも紹介されました。
コウノトリの野生復帰に当たって、乗り越えなければならなかったのが、農薬の使用を減らす・やめることでした。当然、農家からは強い反発がありました。歴史を紐解けば、農薬の使用は国・自治体の指導の下、食糧生産を増やすために導入されたものだったからです。ある農家からは、「国民のために農薬まみれになって食べ物をつくってきた親の世代を否定されたら、立つ瀬がない」と言われたそうです。
そのとき中貝さんたちが選んだのが、説得ではなく対話でした。市の職員が批判をする農家の言葉にひたすら耳を傾けるなかで、「昔は田んぼにカエルやフナがたくさんいて、子どもがそれを捕まえていた」という記憶が語られ、そこから「子どもや孫のために、農薬に頼らない農業をつくれないか」という未来への視点が生まれていきました。
ビジョン実現の要は、自分もその実現に向けて動きたいと思う人を広げること
その後、農薬に頼らなくても雑草や害虫対策ができ、水田がコウノトリの生育環境にもなる「コウノトリ育む農法」が有志の農家を中心にして開発されると、市やJAが普及を後押ししてきました。現在豊岡市における減農薬・無農薬米の作付面積は、日本トップクラスです。

そして生産を支えるために、農家が苦労して育てたコメを「コウノトリ育む米」としてブランド化し、販売量を増やすための流通・小売り業者との連携。品質を認めより高い価格で買ってもらえる海外市場の開拓といった現実的な打ち手を重ねました。その過程では、多くの職員が「市長の指示だから取り組んでいる」ではなく、「豊岡の豊かな未来のために取り組んでいるのだ」という気持ちになって動いていたそうです。
自分事になって動いたのは市の職員だけではありません。地域の人たちによるビオトープ作りなど環境保全活動が大きく広がるとともに、小学生の教育にもつながっていきました。
ビジネスにおいても、様々な利害が絡み合うことはよくあることです。中貝さんらの実践から私たちが学びたいのは、相手とともに問題解決するとは、丁寧に説明をして納得してもらうことだけではない、という点です。相手の意見・話を聞いて、相手の現実や誇りを理解したうえで、共に進める道筋をつくるからこそ、ビジョンの実現に向けて一緒に取り組める仲間が広がるのだと思います。
リーダーとして「自分たちの未来につながる」「自分もそこに行きたい」と思える魅力的なビジョンを語ること。そしてその実現のため、関わる人たちが違いを抱えたままでも前に進める条件を整えることが、未来をつくるリーダーシップには欠かせません。
小さな世界都市実現のエンジン:深さのある演劇のまちづくり
演劇がまちに新しい景色をつくった
中貝さんが「小さな世界都市」実現の三つ目のエンジンとして語ったのが、「深さのある演劇のまちづくり」でした。
出発点の一つは、出石町に残っていた近畿最古の芝居小屋、永楽館の復活です。1901年建築、1964年に閉館していた芝居小屋を2008年に再生し、片岡愛之助さんを座頭に迎えた永楽館歌舞伎を毎年続けています。歌舞伎の上演中は多くの人が訪れ、まちは華やぎ、地域のお店がにぎわい、宿泊や移動も含めてまち全体に影響が広がります。こうした永楽館がもたらしたまちの活気を感じ取り、中貝さんは演劇の価値を「ホールの中で観客の心に働きかける」という点にとどまらないと考え、積極的に豊岡のまちづくりに取り入れていきました。優れたアートに触れられるということ自体に価値はあります。しかし中貝さんたちはそこにとどまらず、アートを生み出す地にこそ多くの人を惹きつける魅力があると考え施策を広げました。
実現した施策には、城崎国際アートセンターの設立、演劇を活用した小中高校生へのコミュニケーション教育、県立大学の設置、豊岡演劇祭などがあります。豊岡市はアートを消費するだけではなくアートを生み出すまちへと変貌を遂げました。
例えば、城崎国際アートセンターの設立は、まさに逆転の発想による取り組みで、世界につながる広がりを豊岡にもたらしています。
活用された建物は、もとは年間稼働日が20日ほどしかなく毎年2000万円の赤字を出していた古いホールで、いわば市にとっては負の遺産でした。それを2014年、日本最大級のアーティスト・イン・レジデンスへと改築・転換しました。最長3カ月、稽古場・ホール・宿泊施設を無償で提供し、世界中の優れた劇団やアーティストが滞在制作できる場となっています。施設運営の赤字を使用料で埋めようとするのではなく、「無料で貸すことで世界の創り手を呼び込み、ブランド価値を高め、地域への来訪や消費を生む投資に変える」取り組みにしたのです。初代の芸術監督には日本を代表する劇作家、平田オリザ氏が就任したことも、この施設への注目を高めました。開設当初から今に至るまで、毎年世界20カ国前後から応募があり、審査を通った劇団が長期滞在しています。豊岡市はコウノトリだけでなく、アートの領域でも世界とつながることとなりました。
大学が生んだ、若者がいる風景
まちづくりのさらに大きな契機となったのが、2021年の兵庫県立芸術文化観光専門職大学の開学です。中貝さんは、国が新たな専門職大学制度を検討している動きを捉えると、兵庫県知事に、演劇・ダンスと観光を学べる4年制大学を豊岡市につくるよう提案しました。1年で知事を説得し、計画、設計、建設を経て5年というスピード感ある準備で開学までこぎつけました。念願の、豊岡市初の大学の設置でした。

豊岡市では毎年の成人式対象の人口は約800人です。高校卒業時に約8割が豊岡市を離れます。つまりまちに残るのは約160人。そうした中で1学年80人の学生が4年間豊岡市で暮らす意味は小さくありません。経済効果はもちろんのこと、若い人がまちに住み創作に取り組む風景が生まれ、アルバイトとして働き手にもなり、交流が増え、まちの空気そのものが変わっていく。中貝さんは、演劇だからこそ、東京や福岡を飛び越えてでも「豊岡で学びたい」と思う若者を呼び込めたのだと語っていました。その期待通り、毎年全国から学生が集まり、地域に活気をもたらしています。
未来を変えるために、ビジョンを語るだけでは足りない
一方で、中貝さんは、こうした挑戦が常に市民の十分な納得を得られていたわけではないことも率直に語っていました。6期目を目指した市長選では敗れています。講演で紹介されたのは、「演劇や芸術も大事だが、市民の暮らしはどうなるのか」「現実に目を向けてほしかった」といった当時の市民の声でした。中貝さん自身は、人口減少を食い止めるために、他には真似されない独自の施策で若者に選ばれるまちの魅力をつくろうとしていました。しかし市民の側には、身近な生活の厳しさや地域の衰退という切実な現実があり、人口減少への対策以上に、今目の前の自分たちの暮らしを重視してほしいという意識がありました。どちらかが間違っていたのではなく、同じ豊岡市の困難を別の角度から見ていたのです。リーダーとして対話を重視していた中貝さんが語った、「不足していたのは対話だった」という言葉は、とても重く響きました。未来に向けた魅力あるビジョンを掲げることと、足元の不安に耳を傾け続けること。その両方があって初めて、現実の問題を変えることができるのです。
地域の価値は、共鳴できる相手とともに育っていく
中貝さんがリードした数々の実践には一貫して「深さ」と「広がり」があります。深さとは、その土地の歴史や文化、すでにある資源に根ざすことです。コウノトリの野生復帰、永楽館の再生はその象徴でした。一方の広がりとは、それを世界につながる価値へと磨き上げ、世界とつながることです。アーティスト・イン・レジデンスで世界のアーティストを呼び込み、豊岡演劇祭で国内外から人を集め、大学によって若者と創造の担い手を地域に定着させるといった取り組みが広がりに当たります。
つまり中貝さんらは、地域固有のものを大切に守るだけでも、外から人を呼ぶだけでもなく、地域に根ざした価値を世界に通用する水準まで育て、教育や観光、地域経済へと価値を連鎖させていました。
深さと広がりを追求するうえでも、施策に広がりをもたらすうえでも、欠かせないのは外とのつながりです。豊岡市では副市長に民間出身の人材を登用し、東京の大学とつながって職員の戦略思考を鍛え、観光PRでは旅行会社から人材の派遣を受けるなど、組織の外の知見を積極的に取り入れていました。中貝さん自身も、多くの人と会う中で、リーダーとしての本気度合いを示し、共鳴できる人と一緒に取り組むことを大事にされていたそうです。演劇にまつわる施策の実現で欠かせないパートナーとなった平田オリザさんのことを、中貝さんが「遠くを見せてくれるような存在である」と語っていたことが、とても印象的でした。
今回は、豊岡市の2つのエンジンを通じて、多くの人と共に未来をつくるために、リーダーとして持つべき着眼点や相手との関わりを考えました。次回の記事では、多くの組織が悩むダイバーシティ推進に深い示唆を与えてくれる、豊岡市独自のジェンダーギャップ解消の取り組みをご紹介します。
第1回はこちら 未来をつくるリーダーシップ:豊岡の実践から見えてくる、ビジョンと課題設定の力
第3回はこちら 若者に選ばれるまちをつくる:豊岡のジェンダーギャップ解消に学ぶ、構造を変えるリーダーシップ
京都大学総合人間学部、同大学院人間・環境学研究科修士課程修了。専攻は文化人類学、クロアチアで戦災からの街の復興をテーマにフィールドワークを行う。
株式会社ビジネスコンサルタント入社後、企画営業・営業マネジャーを担当。現在は同社の研究開発部門で、環境と社会の両面でサステナブルな組織づくりにつなげるための情報収集やプログラム開発等に取り組んでいる。Good Business Good Peopleの中の人。




