孔子の言葉、孔子と弟子とのやり取りを500章句集めて1冊にまとめた「論語」。江戸時代に寺子屋や藩校で盛んに読まれ、大きな声で元気に繰り返し読んでいくうちに、名文、名句が体と心に沁み込んでいく。そうした「寺子屋方式」の学習方法が、現在では見直されてきています。実業家・渋沢栄一氏や湯川秀樹博士をはじめ、多くの実業家や学者、政治家、作家なども影響を受けた論語は、実は、私たち日本人にはとても身近な書物です。

今回は、道徳評論家・安岡定子先生が弊社ビジネスコンサルタントでの勉強会のためにピックアップしてくださった章句から、特にリーダーの要諦を考える際に参考となる3つの章句をご紹介します。
論語は、孔子が亡くなった後に弟子たちが編纂したので、文頭にはすべて「子曰く」がついていますが、孔子の言葉を味わうためにあえて「子曰く」をはずしています。

【前回の記事】安岡定子先生に訊く リーダーなら知っておきたい論語のエッセンス

論語を代表する章句、「故を温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし」

論語の中でも一番有名な章句でしょう。加えて、安岡先生によると、これが孔子の考え方を最も良く表している章句だというのです。定番の訳は、「先人たちの生き方・考え方に学びましょう、それを現在の私たちに生かしましょう」です。安岡先生はもう少し深い解説をしてくださいました。

孔子にとっての「故き」ものとは何でしょうか。孔子が生きた時代よりもずっと前、国が良く治まっていた時代を差します。孔子の若い時の志は、良い国作りをしたい、ということでした。しかし孔子の生きた時代は戦乱の世で、政治も乱れていました。そこで孔子は、古き時代を徹底的に学んだのです。

現代はどうでしょうか。江戸時代、明治時代と比較すると、物質的には著しく発展しました。しかし、人間力はそれと同程度に発展したでしょうか。むしろ人間力は劣化している部分もあると感じる方も少なくないでしょう。

物質的な発展と人間力の向上は比例していないと気がついた孔子は、国が良く収まっていた時代のリーダーと、今の戦乱の世のリーダーとの違いは何かを学びます。過去を学んだことで、理想とする人間像が見えてきた。そして、人材育成こそが国作りの基本であるという確信を得たのです。このことを、これから国作りに携わる人たちに伝えなくてはいけない、そもそもその若い人たちを良き人物に育てなくてはいけない。だからこそ弟子たちに「君たちは徳を身に着けて現場に出なくてはダメですよ」と説いていました。

現代のリーダーに置き換えて考えると、新しいことに取り組みたかったら、まず経験者の話を聞く、資料を見るなど、いきなり初めてのことに手をつけないで、準備しておきましょうというのが、この章句の本来の意味であり、孔子は、それができる人は素晴らしいと言っています

そしてもう一つ大事なポイントとしては、「故き」ものには、自分の過去も含まれるのだということ。昨日の自分、去年の自分は故きものと捉えてみると、どんなことが考えられるでしょうか?

昨年の自分を思い出してみましょう。新型コロナウイルスの感染拡大という前例のないことが起こり、どう対処しようか悩み、我慢しないといけないことばかりだと感じていた方がほとんどでしょう。その時に自分はどう動いたでしょうか。そして、1年後の今は、どう感じているでしょうか。過去を振り返ることで、先が読めない、いつまで続くのかと思いながらも、1年前とまったく同じではない自分に気付けるかもしれません。すると、これからはこうしよう、あの時無駄にしてしまった時間をこう使おうといった新たな考えが出てくるはずです。

論語の言葉は普遍的で、書かれているのは原理、原則です。方法論が書かれていないということは、原理・原則をどう生かしていくか、何に当てはめるかは読む人の自由だということでもあります。遠き過去を振り返ることも昨日の自分を振り返ることも、どちらもこの章句の正しい使い方。このように臨機応変に言葉を自在に使っていくと、とても有効です。

見通しを持つことの大切さを説く「人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り」

遠い将来のことを見通した考え方のことを言っている章句です。「人として生まれたからには、見通しのない人はいませんよね。もし見通しがないとしたら近い将来困りますよ」と訳せます。孔子の弟子である若者は、将来、官僚として、地方政治のリーダーとして活躍するであろう人たちです。現場に出た時、先の見通しを持たないなんてことはないでしょう、短期計画、中期計画、長期計画を持たないと、国は成り立たないし、人は育ちませんと説いています。この章句のキーワードは「見通し」です。

レンガ職人の寓話はご存じの方も多いでしょう。ある腕のいいレンガ職人のところに、仕事を頼みにある人が訪れます。予算、日数、仕事の内容を伝えると、レンガ職人はきっちりと仕事をします。次の日、別の人が来てまた仕事を頼みました。仕事の内容は同じでしたが、その人は「これは教会の一部です」と付け加えました。レンガ職人はもちろんきちんと仕事をします。また次の日に仕事を頼みに来た人は「これは教会の一部なので、町の人たちが出来上がるのを楽しみに待っています」と付け加えました。

どう言われたら、レンガ職人は一番仕事をやる気になるでしょうか?

もちろん3番目の伝え方ですね。これはつまり、見通しを持つと、人間はエネルギーを引き出されるのだ、ということを意味しています。上司・先輩である人は、言葉の使い方、声掛けの仕方一つで、部下・後輩が見通しを持つきっかけを与えることができますし、それこそが人材育成の中心とも言えます。

「彼にはそろそろこの仕事を任せてみないといけないな」「もうこの仕事ができるようになっていないとまずいな」「以前にこんなことで困っていると言っていたが、今はどうなっただろうか」など、一人ひとりに気を配り、どう育っているかを見て、関わることが重要です。そして、何か一つのきっかけで見通しを持てるようになった人は、今度は「3年後、5年後はこんな風になっていたい、こんな仕事ができるようになっていたい」と、自力で自分の将来のキャリアを考えるようになれる、つまり見通しを持つ力がつくということです。

こうした関わり方は、多くの方が無意識に実践されているのでしょうが、やはり論語の章句を知っているかどうかで、日ごろの部下・後輩との向き合い方が変わってくるのではないでしょうか。

ところで、「遠慮」という言葉はこの章句が語源だと、皆さんはご存じでしたか?

「遠きを慮り」は、今は辞退する、譲るという意味です。人材育成の場面で言えば、今、これを言ったら相手がどういう気持ちになるか、全部を終えてからコメントをしたほうが良いのか、途中で進捗状況を見たほうが良いのかなども慮りです。つまり、慮りとはシミュレーションをしてからアクションを起こすということ。遠慮という言葉は、「私は考えてから行動を起こしますから、皆さんは先に行っていいですよ」というのが本来の意味で、それが転じて「譲る」という意味になったのです。辞書にも、第一義としては、孔子の言った「将来を見据えた考え方」のこと、第二義が辞退する、譲るの意味だと書かれています。

このように、「論語」がもともとの由来である言葉は多く、私たちの生活の中に自然と溶け込んでいます。

周りへの気配りを説いた「人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患う」

組織にいれば、評価する・評価されるというのは必然です。「人が自分のことを知らない、認識してくれない、評価されなくても、そんなことは心配することではありません、自分が人のことを知らないことのほうがよほど心配だ」ということを言っている章句です。

組織の責任ある立場として、人を見る目がなければ、人事はできません。先輩として自分の過去の功績を自慢することより、周りの人たちがどんな人なのかに心を配って、人を正確に見ようとすることの方がよほど大切なことなのだと、この章句から読み取れます。

人にはそれぞれ個性・性格があって、自分と合う・合わないといったこともあります。もしあなたの組織で一つポストがあいたとして、誰を登用するか、どのように判断しますか?

当然、リーダーとして、個別の部下との関係性ではなく、組織全体の視点で判断できることが重要です。そのためには、一人ひとりの実績や努力を公平に見て、よく知っておくことが欠かせません。そうすれば、そのポストに就くのは誰が適任で、本人の成長にも組織の成長にもつながるか、考えることができるようになります。

リーダーであれば、自分に対する周囲からの評価にこだわるのではなく、バランスよく周りを見ていられるか、うまく育ててあげられるかこそが重要です。

2500年間消えなかった言葉は、人生の道しるべとなる

安岡先生は、ご紹介したこれら3つの章句こそ、孔子が伝えたかった論語の神髄であり、今の人に伝えたいものと考えていらっしゃいます。

最後に、今を生きる私たちと論語の接点について、安岡先生のメッセージをご紹介します。

「2500年前の言葉が今も残っているということは、人間の本質はそれほど変わっていないということです。消えなかった言葉の重みが「論語」の中にはあります。古典はたしかに古いものですが、古くても優れているからこそ現代に受け継がれているといえます。こうした変化の激しい時代だからこそ、人や物事の本質を説く古典を身近に置き、自分なりに工夫し、思考することで、実践に役立てることはとても有効な方法です。

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