ポジティブ心理学。マインドフルネスなどとともに、最近急速に目にする情報が増えてきたとお感じの方も多いのではないかと思います。そこで、ビジネスパーソンのためのポジティブ心理学の基礎と最新動向をご紹介します。

713日~16日にカナダのケベック州モントリオールで開催された国際ポジティブ心理学の学術団体、International Positive Psychology AssociationIPPA)に参加してきました。IPPAの大会は、今年で5回目の開催でした。私自身、3回目の参加でしたが、年々進化しているように感じます。
今年は約1400名、50か国から参加されていました。参加者は私のように人材育成に活用しようと考えている人もいれば、個人でコーチングをされている方、「幸せ」を科学的に研究している研究者、そして、健康にも影響を与えることが分かってきたので、循環器系の医師の方など多様な方がいらっしゃいます。

ポジティブ心理学とは

今回どのような発表があったかをご紹介する前に、もしかするとまだなじみのない言葉かもしれませんので、「ポジティブ心理学」とはどういった学問なのか簡単にご説明したいと思います。

これは1998年にマーティン・セリグマン博士(当時アメリカ心理学会会長)によって提唱された心理学研究の新しいアプローチです。心理学には大きく基礎心理学と応用心理学とがあり、それぞれがまた特定分野へと枝分かれしていきました。私たちがよく聞く発達心理学や認知心理学、社会心理学などは基礎心理学に、臨床心理学は応用心理学に属します。いずれも人間の心のはたらきを研究するものですが、中でも臨床心理学は「うつ病」や「うつ状態」の治療や予防を主な研究テーマとして発展してきました。

しかし、セリグマン博士は次のように考えたのです。

「どのようにすれば、幸せでよりよい人生を送ることができるのか」に焦点をあて科学的にアプローチすることで、心理学が貢献できることがあるのではないか?

セリグマン博士は「学習性無力感」の研究で有名な研究者でした。これは、犬を使った実験で明らかになったものです。電気刺激から逃れられない状況に置かれた犬は、逃れられる状況になっても逃げようとはしないそうです。ここから「無力感や無気力は生まれつきのものではなく、学習されたものだと」という知見が導かれました。無気力が学習できるならば、その学習の棄却や「ポジティブさ」も学習できるのではないかという希望が出てきます。

ネガティブなことばかりの世の中だと思い、将来を悲観していると人生に対する満足度や充実度は上がりません。近年では、「一瞬の幸せ」ではなく「長い時間での幸せ」を意味する”Well-being”という概念が注目されています。ポジティブ心理学は将来に希望を見出し、今に集中することで”Well-being”へと近づくための科学的アプローチを提供します。

日本でもポジティブ心理学が注目される背景

私は7年前にポジティブ心理学に出会いましたが、その頃日本ではまだあまり有名ではありませんでした。
ですが、ここ数年でポジティブ心理学に関する書籍も数多く出版され、翻訳本だけでなく日本人の研究者や実践者による書籍も出てきました。このように注目されるようになったのには3つの背景があるのではないでしょうか?

社会的背景:物質的な豊かさよりも心理的な豊かさを求める人が増えてきた

3.11以降特にこの傾向が強まったと感じますが、人とのつながりを大事にする方が多くなっています。震災後、結婚する人が増えたといった記事をみたこともあります。 

組織的背景:不確実・不連続の事態が起こる経営環境下、組織が持続的に発展するために、一人ひとりが充足感を得て、自らの幸せを満たす組織作りが求められている

人材不足の中、優秀な人を引きつけるための組織の条件として働きがいや充実感を得られる組織が注目されています。それと共に、幸せやポジティブさを感じる組織の方がイノベーションが起こりやすい、あるいは組織の変革が迅速に進むことも分かっています。

個人的背景:「健康で長生きしたい」「ストレスを軽減したい」「人とよい関係を築きたい」といった、よりよい人生を送るためのアプローチや、「失敗から素早く立ち直りたい」「やり抜く力を身につけたい」といった業績成果に影響を与えるアプローチが注目されている

リンダ・グラットン著の『LIFE SHIFT』で2107年には先進国の半数以上が100歳よりも長生きするという話があります。もしかすると、80歳まで働くことが求められる時代がきてしまうかもしれないのです。そうした時にやはり気になるのは、健康寿命です。ポジティブさが健康に与える影響は今年のカンファレンスでもトピックス的なテーマでした。

発見!「幸せ」はがん予防・アルツハイマー予防に効く

エピジェネティクスということばをお聞きになられたことはありますか?私は今回のカンファレンスで初めて聞いた言葉でしたが、これは遺伝子の発現パターンが環境によって変化するということを表しているそうです。遺伝子と言えば、親から受け継がれた「変化しないもの」と信じていたのですが、その発現パターンは分子レベルで変化し、人間の健康状態に影響を与えているのだそうです。
カリフォルニア大学ロサンジェルス校の医学・血液腫瘍学が専門のスティーブン・コール博士は「幸せ」も遺伝子に影響を与える環境要因になるという発表をされていました。

これまで博士は、「ストレス」が高い人を研究し、遺伝子の発現について研究をされていたそうです。その結果、社会的に孤立している人は炎症を生じさせる遺伝子が活性化し、免疫やウィルス抗体の産出に関する遺伝子が不活性化することが分かったそうです。
この遺伝子はCTRA遺伝子群と呼ばれていて、慢性的な炎症を引き起こす特徴を持っています。アルツハイマーや動脈硬化を引き起こしたり、免疫力やウィルスへの抵抗を低下させたりする遺伝子群です。

この遺伝子群が活性化してしまうストレスが高い人は病気になりやすいということになります。それでは、「幸せ」はこの遺伝子群にどのように影響するのでしょうか?驚きの研究結果が紹介されました。

 求める「幸せ」の種類によって健康寿命が変わる!?

ポジティブ心理学では「幸せ」を2つに分けて考えています。これは古代ギリシアの哲学から議論されているものですが、「Hedoniaヘドニア」と「Eudaimoniaユーダイモニア」です。

幸せの種類 ヘドニアとユーダイモニア
ヘドニアというのは「快楽追求型」で、美味しい料理を食べている時に感じるような一時の感覚的な幸せを指します。五感を通した幸せで、短期的な幸せと言われています。
そして、ユーダイモニアは「生きがい追求型」で、自己実現や生きがい、人生の意味と関わる幸せのことです。意義ある目標に向かって楽しいばかりではない、困難にも立ち向かいながら生きている人生に幸せを感じるというものです。

どちらも、脳においては「幸せ」と感じられるので、どちらが良い悪いということはありません。しかし最近、追い求める幸せの種類によって、遺伝子の発現には異なる影響を与えることが分かったそうです。

コール博士は事前に研究の協力者にアンケートをとり、どちらの幸せを追求しているのか調べ、その後、その方々の遺伝子発現を調べました。
結果、生きがい追求型(ユーダイモニア的幸せ)の人は、CTRA反応が低かったそうです。つまり、炎症反応に関する遺伝子の発現は少なく、免疫力や抗ウィルス力は高い状態でした。一方、快楽追求型(ヘドニア的幸せ)の人はストレスが高い人と同じく、CTRA反応が高いという結果でした。

幸せの種類による、脳と遺伝子への影響

どちらの幸せも脳にはプラスの影響、しかし遺伝子の発現にはユーダイモニアのみが好影響

自分を振り返ってみると・・・美味しい食事やおやつに目がない私は健康にはなれないのかなと残念な気持ちになりましたが、なんと解決策も博士は提示してくれました。

免疫力を高めるための幸せ習慣とは

コール博士は、次のような研究も行いました。
研究協力者に4週間にわたって、次のような行動を毎日とるようにお願いします。

1. 普段と変わらない生活
2. 世の中に向けた親切な行動を13回とる
3. 他者へ親切な行動を13回とる
4.自分への親切な行動を13回とる

4週間続けた後にCTRA遺伝子群を調べてみたところ、「3.他者への親切な行動を1日3回とる」を実践した人のみがCTRA反応を不活性にする効果がありました

CTRA反応の活性度の違い 反応が不活性=炎症反応少なく、免疫力が高い

 「人への親切行動」、そんなに難しいことではないのに、とてもパワフルな効果があるのですね。家族や職場の同僚へのちょっとした親切行動を習慣にすれば、人間関係も良好になり、仕事がうまく進み、自分も健康になるなんて、これは実践しない手はないと思います。
ポジティブ心理学にはすでに「幸せ」につながる習慣的行動についての研究が蓄積され、実践への応用が進んでいます。今回のセッションでは、新たに「幸せ」が遺伝子の発現レベルへ影響をあたえ、健康にも直接的に影響を及ぼすという研究結果にとても驚かされました。


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